2014年5月19日月曜日

この週末に数本の映画をみたんだが

週末に映画をみるのはオンラインゲームをやるより生産的な行為だ。
オンラインゲームは作業であり、その作業を通じて僕はなにかその日の課題をやったという錯覚に陥ることがある。課金制度とか酷いもので、作業をやらされているにもかかわらず金を払っているのだから。仕事をサせて金もいただくぜ!というシステムを作り上げているゲーム会社は合法的な悪だとおもう。これは規制したほうが良いが規制のしようが難しいとおもう。
おそらく、このゲームのシステムを用いた社会的に有用なシステムをつくり上げることができればゲームをしている人はゲームを楽しんでいるにも関わらず社会的に生産的な行為をすることになり、一方的な電気と時間の消費者から、生産者となるのだから社会は変わるだろうなとおもう。
それが何かわからないけど、要はゲームとして機能するには可視化することが大切だとおもう。じゃないと例えば、こんなのはどうかな、世界中のネットに存在するネットウィルスを可視化して、ネットウィルスを駆逐するゲームとか、ゲームしている本人は世界中にひろがっているウィルス退治をすることによって成長していき)、そんでもって、ネットの番人として活躍、ネットセキュリティの会社とか政府とかから資金を提供してもらうとか、いろいろ考えられるとおもう。

そうそう、それで映画の話なんだけど

面白いと思った映画2本、
鍵泥棒のメソッド、と、耳をすませば
これは面白かった。

鍵泥棒のメソッドは、おれが嫌いな広末某がでているんだが、この映画では比較的に普通に演じてたと思う。むしろ半沢某役をやった役者のほうが鼻についたのだが、、、、
いかん、また、批判からはいったのだが、おもしろかったのは香川某という役者で、ブサイクだけど役者として面白なとおもった。彼のことをちょっと調べておもったけど、かれは結構マキャベリアンだなと、恐ろしい男だ、なかなか戦略的で打算的な男だとおもった、こういう奴は自分の本心をなかなか出さないような気がする。努力家で現実的でもある。彼が演じた秀吉と似ているのではないかとすらおもう。まぁ、ええけどな


耳をすませば、なんかジブリ作品の海が聞こえるをパヤオが俺ならこうする的につくった映画だということで、みてみた。つくりはパヤオ節がいろいろあったんだけど、たぶん原作が面白いんだろうなとおもうところがあって、けっこう笑ったし、考えさせられた。とくに、自分の中にある才能の原石を見つけ出すこと、そして選んで磨いていくことに関しては、かなり考えさせられた。主人公は高校受験を控えた中学3年生のようであり、勉強しなくてはならない。そんななか彼女自身の中に作家として才能があるかどうかを試してみるために物語を書き始める。彼女は書くことに集中して書き上げる。書き上げた彼女は自分の中になにが足りないのかを認識する。そのためにやらなければいけないことをみつける(みつけたようだ)。作中のなかで、彼女のお母さんが修士論文を上げている様子があって、主人公の姉は大学生。お父さんは図書館の書士ということもあって、けっこう学業に関して恵まれた環境にあるなという感じだったのが印象的だった。主人公が大学生の姉に、人生の進路をいつ決めたのかと問うシーンで、姉が、「進路を確認するために大学にいっている」的な返答をするのだが、このお母さん、姉、主人公の3人がそれぞれ前向きに進んでいるところが見えてけっこう面白いとおもった。オヤジは書士としてやるべきことをやっているという感じなので発展途上というかんじでは無いのかもしれない。


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